
其の一 「男の料理教室」
サラリーマンにとって60歳前後の定年間際というのは非常に微妙な時期なのだろう。
肉体の衰えから死を身近に感じ始めるとともに、今までの人生を振り返ったり、今後の老い先に不安を感じたりする。
また、それとは反する、まだ気張りたいという欲求や未来への希望もある。まだ若輩者の勝手な想像なんで違っていたら申し訳ない。
しかし大枠で見たら当たってる部分もあるかと思う。
私の父、マサヨシは現在、65歳。実は定年間際、還暦を迎える前の歳につまずいた。うつ病にかかってしまったのだ。
細かい経緯はまたにするが、今はすっかり回復し仕事のない毎日をいろんな趣味に費やし楽しんでいるようだ。
その一つが「男の料理教室」。
これが映画だと主人公の行動に明確な理由をつけないといけないのだがマサヨシは寡黙だ。
何を思ったか突然通いだした。
初老の男たちがエプロンと包丁持参で、公民館に集まり料理をする。生徒は約20名。
それぞれいろいろな思いがあって集まっているのだろうが、それを聞いてあることを思い出した。
確か池袋に定年退職した男たちで作った定食屋があった。
店名は忘れたがおよそおじさん達には似わないかわいい名だった気がする。私はその時定職(しょく)屋という名前がいいのではと思ったが、まあそれはさておき、このおじさんたちは三角巾にエプロン姿で真剣に料理を作っていた。
だがとにかく出てくるまでが遅かったのを記憶している。こんなんじゃ潰れるぞと思った矢先、それから半年もしないうちに潰れていた。
さて、マサヨシがどんな料理を作っているのか興味を持ち献立を見せてもらった。
手打ちそばから始まり、豆腐ハンバーグ、茶碗蒸し、もやしの卵とじ、ほうれん草のパスタなど実に難しそうな料理ばかり 最初の手打ちそばは習ってすぐに、家で実践したようだが、食べた母親によると、つゆは美味しいが麺はいまいちとのこと。
それじゃ手打ちの意味がないのでは?
一見してあまりメモの書きこまれてないレシピだったが、何故か「もやしとにらの卵とじ」の「もやしはひげ根を除く」のところだけ必要以上に線が強く引っぱられていた。
果たして作った後の試食会はどんな様子なのか。おじさんたちはどんな会話を交わしてるのか、また、エプロンはつけたままなのだろうか?気になるところだがマサヨシは語らない。
先日の父の日に、私の妻がエプロンをプレゼントした。
マサヨシは今日もそのエプロンをしめて料理にいそしむ。
